前回、言葉の出自を知ることはなぜ大切なのか?
に対する答えが少しだけわかったというところで終わっていましたが、今回はその今の私なりの答えです。
それは…
「石ころ」
です。
どういう意味かというと、
つまり石ころを宝石に変えるということです。
「言葉の出どころを知ることは、自分を知り、可能性を広げることなんじゃないのか」
と思うのです。
もちろんいろんな解釈があっていいし、その同僚の方の意図する答えではないかもしれないけど、約5年ほど、頭のどこかにしまわれていたことについて、少し進歩したかなと思います。
出自を知ることは、本当の意味をしらないくせに、自分の事をストイックだと声高らかに宣言している人たちに対して、自分がより優位に立ったり、攻撃したりするためではありません。
今回の場合、どうしてその学派ができたのか、どういうことを大切にしている学問なのか、を知ることにより、より細分化して自分との照らし合わせができるのです。
もし、壁にぶち当たった時に、私がストア派を学んでいる人だったら、どう考えるのか、どう対処するだろう。
それは、自分にとって新たな解決策の1パターンとして引き出しを得られる機会でもあり、自分はどの部分でストア派とは違うのか、なんていろんな視点から感じ取ることができます。
おもしろいですよね。
一つの「ストイック」という言葉から、こんなにも芋づる式に学ぶことが出てくる。
案外、お宝は日常に、道端に、コロンとそこらへんにころがっているものなのかも。
当時「私はストイックだ」と言ったボスにも、「本当の意味を知っている?」と聞いてくれた同僚にも感謝です。
その方々と出会わなければ、私は言葉についてこんなに学ぶこともしなかったし、ストア派なんて知らなかった。そこにある新しい可能性も気づけなかった。このブログだって、今、書いていなかったのです。
その時の会話も、ごく普通の他愛ない会話の中でさらっと出てきた、道端にころがっていたもの。
その石ころを、蹴っ飛ばさず、なんだかわからないけど大切だよとその人が言うから取り合えず拾って、カバンの奥底に入れておいて、よかった。
カバンの中の石ころが宝石だと気づいた時、そのカバンの重さは軽くなり、更に私の使い古したカバンに箔がついた気がします。
反して、現実世界での私のカバンはいつもパンパンヘビー級のままですが。