通常、経験は自分にとってすごく有利に働くし、何事も自分を成長させてくれる。
無駄な経験なんて一つもない!
でも、たまに経験が歪曲された形で表れちゃうこともある。
例えば、あまりに経験が多すぎて、一言聞くと、その人の言いたいことがすべてわかってしまう、、、という思い込み。
普通に考えると、十人十色。
そうじゃない場合だって勿論あるのに、その人の脳内には、数多ある経験の中から、「あ、この人の場合はこのケースだな」とグルーピングされ、「はいはい、それね」と言わんばかりに、その問に対応する引出しの中からさっとお門違いな処方箋を提示してしまう。
忙しい方に多いあるある。
自分の力点ではなく、遠心力だけで片付けちゃうというか、言い方は悪いけど、小手先で対応できちゃうし、回答する感じ。
あとは、あまり能力を伸ばしてこなかった分野に対しても、経験があると、あたかもできているように感じてしまう。
例えば、言葉使いとか所作とかの、一番指摘されにくい部分は特に。
それに、自分が謙虚なタイプだと思っているとさらに厄介。
だから、自分でも気づかないし、経験を重ねてある程度地位があったりしたら、まわりはもっと面従腹背になりがち。
だから猶更、気づくことがない。
そして、そのまま年を重ねて、本当に大切なものを見失っている気がする。
弁護士の先生によると、人によっては曇らせるものが「学歴」という経験だったりもするらしい。
こんな風に、経験が己の目を曇らせてしまう場合もあるし、プライドという形で障害物となることもある。
それを防ぐには、自分よりも優れている人達のいる環境に身を置くこと。
過去につかせて頂いた社長は「いかに自分を厳しい環境に身をおけるか、が一番大切だ!」とおっしゃっていました。
いつも、本当の学びの姿勢でいること。
相手の懐に飛び込む勇気をもつこと。
どれだけ自分にとって厳しい環境に身を置くか、置けるか。
厳しい人を回りに置くか、置けるか。
そして、自分で一旦立ち止まり、初心にかえって、るろうに剣心のように
「剣一本でも、この目に止まる人々くらいなら、なんとか守れるでござるよ」
が大切だなって思う。
この目に止まる人、というのは経営者なら社員であるし、プライベートなら親しい友人やパートナーだったりする。
そうじゃないと、厳しいことも言ってくれるべき親しい人もいなくなっちゃう。
大きいものを守る時も、一人では守れないから。
左之助や弥彦や薫がいて、初めて剣心は日本という大きなものを守れた。
やっぱりその部分をスキップして大きなものなんか守れない。
そして、同時にこの人のことは絶対守る!って言いきれる強さが欲しいなと思う。
そんな、
今一度、謙虚な心で、自分の立ち位置を確認したいな!
…という私のただの徒然なる吐露を聞いてくれたのは、ボス。
私の他愛のない話にお付き合い、ありがとうございます笑